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長野県と新潟県の県境を走る関田山脈は、JR飯山線や千曲川と並行するなだらかな山脈で、冬季は日本海からの季節風に上昇気流を生じさせることで、麓の飯山市に大量の雪をもたらし、日本でも有数の豪雪地帯となっています。この関田山脈の主峰が鍋倉山。ブナが山全体を形成していると言えるほどブナ樹林が発達していて、昔から集落の人たちが薪を拾ったり、炭を焼きに入ったりし、生活と深く結びついてきた里山です。

また、ブナは幹に耳をあてると水の流れる音が聞こえるくらい保水力があるとも言われており、大地に栄養豊かな水をたっぷりと貯え、広大な里の田んぼに水を注ぎます。地元では、「ブナ1本で1反分の田をうるおす」という言い伝えもあるのだとか。

また、雪の多いこの地域ではどの家にも雪を融かすための池(「雪だね」と呼ぶ)があり、その池の水もまた、ブナの森から流れ出たもの。さらに、ブナの腐葉土は良質な肥料として田畑の大切な養分となっています。鍋倉山麓の人々の暮らしは、ブナの森と深く結びついたものなのです。

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鍋倉山
山全体がブナで覆われている鍋倉山。この森が豊かな水を保水し、植物、動物、人間社会に大きな貢献をもたらしている
森太郎
1987年に発見された森太郎は、ゴツゴツした表面の雄々しい巨木で、鍋倉山の自然保護活動のシンボルとされている

この辺りは、約2000万年前に一度は海に沈んだフォッサマグナ地域で、その後大きく隆起して山になったところです。2万年前頃には、飯山平に人間が住み始め、氷河期が終わった1万年前から鍋倉山はブナに覆われるようになったと言われています。古い地質と地史をもち、豪雪の影響も加わって、生物相は多種多様です。

ブナはかつて日本全国にあり、特に日本海側の多雪地帯に多く、大して珍しい植物ではありませんでした。しかし、木材としてはヒビが入ったりネジレが生じやすく、また材質的に柔らかく建材などには使いづらいため、戦後「役に立たない木」とされ、昭和30年代から40年代にかけて、盛んに伐採され杉の植林へと姿を変えて行きました。しかし、鍋倉山麓の住民は、水とブナの森との関係、ブナの森の重要性を古くからの経験で知っていたため、過度な伐採は免れてきたのです。

それでも、1986(昭和61)年に、当時の飯山営林署から鍋倉山国有林のブナ伐採計画が出されました。また、バブル期には鍋倉山をスキー場として整備することを目的とし、大手企業と第3セクターによる大規模リゾート開発計画が打ち出されました。地元住民は、伐採か保護かで激しい論争が繰り広げられるなかで、ブナ林を守るために反対し、1987年、調査のために入山した信州大学の先生や信濃毎日新聞の記者、地元の対策会議の会長などが、深い谷間にひっそりと聳え立つ2本のブナの巨木を発見します。1本は天を突くように聳え、表面はゴツゴツとした雄々しいブナであり、もう1本はしなやかに、そして真っすぐ伸びた気品あるブナでした。前者は「森太郎」、後者は「森姫」と名付けられました。これらの発見により、自然保護運動はますます盛んになるなかで、バブル経済の絶頂期である1990年、当時市長に就任した小山邦武氏が伐採、リゾート開発計画を白紙撤回します。地元が愛する美しいブナ林を守ることと、大規模リゾート経営への不安が、その判断の理由でした。市民による自然保護運動が日本で初めて勝利を収めたのです。奇しくもその直後にバブル経済は崩壊。こうして、鍋倉の美しいブナ林は今日まで守られています。

こぶブナ
1999年春、雪崩により大きなコブの部分から折れているのが見つかった「こぶブナ」。この倒木をきっかけに、保護活動の気運が高まった
鬼ブナ
2011年7月、高さ25メートルほどの巨木「森太郎」に匹敵し、新たに保護活動のシンボルにすると発表された巨木「鬼ぶな」

「森太郎」「森姫」に続き、「謙信ブナ」や大きな瘤が特徴的な「こぶブナ」など、胴回り数mにもなる巨木が次々に見つかり、これらのブナの古木が集中する通称「巨木の谷」には、多くのハイカーが入山するようになりました。白神山地のような奥深いブナ林と違い、里山である鍋倉山は、誰でも気軽に原生的なブナ林に触れることができるという点が、来訪者が増えている要因のひとつでした。

入山者が増えるにつれ1989年には「謙信ブナ」が倒木、1999年春には、「こぶブナ」が倒れました。さらに、人々が近づきやすい「森姫」は季節はずれに落葉したり、キツツキに穴を開けられ、枝先が枯れてきていました。このままでは、残りのブナの倒木も時間の問題ではないかと心配し、鍋倉山の保全活動を目的に2000年に発足したのが「いいやまブナの森倶楽部」です。樹木医とともに衰弱したブナの治療を行ったり、遊歩道の整備作業や倒木の片付け、土留めなど具体的な取り組みを始め、貴重な宝の保全と有効活用を討議して、関係各位の意思統一を図りました。

100年後の未来へも素晴らしいブナの森を残したい、そんな願いで「いいやまブナの森倶楽部」は、現在も鍋倉山のブナの森を管理し、守っています。

案内板
うっそうと木々が生い茂る登山道入り口すぐにある案内板。登山道は、最初は背の低い雑木林のなかを進むため、歩きづらい
国有林エリア
灌木や若くて細いブナが生える低木帯を抜けると、急に視界が開け、民有林から国有林エリアに入ったことがわかる

巨木の谷に悠然と佇む「森太郎」を訪ねる登山道は、原生の森の状態を守るため未整備で歩きにくい場所もあり、また森の保護という観点からも、入山時にはできるだけガイド同伴でお願いしています。登山道の入り口は、田茂木池を過ぎて2kmほど。秩序なく多くの人が入山するのを避けるため、道路にはあえて案内板等を設置していません。木がうっそうと生い茂る入り口の先に案内板があり、雑木の中を進みます。登山道の右側は沢が流れており、沢沿いにはかつて地元住民に使われていた炭焼き釜が多く残っています。


しばらくは細くて低いブナしか見られませんが、急に視界が開け、樹齢100~200年ほどのブナの巨木が現れるようになります。ここが民有林と国有林の境目で、国有林側に巨木が残されているのがよくわかります。いくつもの枝先には茶色いブナの実がなっています。どうやら6~8年サイクルで実の豊作年があるそうで、今年は豊作なんだとか。実はカシューナッツのような香ばしさや甘さで、野生動物の重要な食料源になっています。


15分ほどで道は90度左にカーブし、雪の重みで急斜面にぐっと耐えるように生えている大木のブナも見られるようになります。根元が大きく太く発達し、鍋倉山の厳しい自然環境を物語っているようです。浅く広く地面に根を張るブナの根っこを何度もまたぎながら、さらに15分ほど進むと、「森太郎」と「森姫」に行く道の分岐点に着きます。入り口から、この分岐点までは約1.2kmの登山道です。

ブナの葉は非常に特徴的で、ほとんどの樹木では葉脈の先端部が出っ張っているのに対し、ブナだけが少しくぼんでいる。この葉のおかげで、ブナはより多くの水を貯えることができる。この葉の特徴は落葉からも判断できるので、わかりやすい。ブナ林で落葉を見てみると、ミズナラなど多くの木の葉がのこぎりの歯のようなギザギザした縁をしており、葉脈の先端がギザギザの尖った方へ向かっているが、ブナの葉の縁は卵形のような丸みを帯びた波状で、先が尖っていて、葉脈の先端が波状のへこんだところへ向かっているのがわかる

ブナの根が横に広がる登山道
ブナの根が横に広がる登山道を進む。雨天時は根が滑りやすいので注意。また雨天時は、全長10cm以上のヤマナメクジがいることも多い

分岐点から200mほど下ると見えてくるのが、2011年夏に枯死が確認され、すっかり葉が落ちてしまった「森姫」の姿が見えます。登山道の手前5mにはロープが張られ、現在は近寄ることはできませんが、かつてはこの大木の下でシートを広げ、多くの人がお弁当を食べる姿が見られたそうです。森姫枯死の原因の一つに入山者による踏圧が言われています。浅く広く根を張り、地表近くで水と養分を吸収するブナは、踏圧に弱く傷みやすいため、寿命を短くした原因の一つであると考えられます。

現在張られているロープは、森姫の倒木から入山者を守る意味と、根元の植生を元に戻す意味があります。植生はだいぶ戻ってきており、古木が倒れることで地表に陽光が注ぎ、若木が生えていました。こうして森は循環し、世代交代が行われて、将来の新たな巨木が育って行くのでしょう。

地面にしっかりと根を張っているブナの木
豪雪や雪崩の重みに耐え、地面にしっかりと根を張っているブナの木。この辺は冬季は6mを超える積雪がある
森太郎と森姫への分岐点
森太郎と森姫への分岐点。入り口から1.2km、約30分ほどの道のり

真っすぐ伸び、しなやかで気品あるブナだったことから「森姫」と命名されたが、2011年7月の調査で、完全に枯死していることが確認された。樹齢は300年とも400年とも言われている。

登山道から近く、人が近づきやすかったため、より根本が踏み固められがことが、枯死を早めた原因ではないかと言われている

一斉に芽吹いたブナの新芽
一斉に芽吹いたブナの新芽。その中でも立派なブナになることができるのは、何万本に1本の確率とも言われている

分岐点から10分ほど登山道を登ると、森のなかに悠然と佇む「森太郎」が見えてきます。圧倒的な存在感を放ち、推定樹齢は400年以上。2004年、林野庁によって全国の国有林のなかから、100本の巨樹・巨木を選んだ「森の巨人たち百選」にも選ばれた巨木です。森太郎も、森姫と同様、踏圧により根が露出してきており、ロープを張って保護されています。

ブナの寿命は最長でも400年ほどと言われており、森太郎もこの先、長くはないと考えられています。それほど遠くない将来に森太郎は土に還り、そして、新たな若木の生存競争が始まることでしょう。巨木の谷を歩き、悠久の時の流れを肌で感じ、ブナの森の自然の摂理と、森がもたらす水と人との関係に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

割れて落ちていたブナの実の外側
割れて落ちていたブナの実の外側。中は三角形の小さな実があり、ナッツのように香ばしく、野生動物の栄養源となっている
ユキツバキ
森のなかでは、豪雪地ならではのユキツバキや、香り高く、和菓子の楊枝などで重宝されるクロモジなどの植物が見られる。ユキツバキは飯山市の市花

日本の巨樹巨木百選にも選ばれ、樹齢400年を超えるブナの巨木「森太郎」は、「巨木の谷」に悠然と立っている。

樹木医による診断で樹勢は5段階(数字が大きいほど樹勢が衰えている)、森太郎は現在「4」(森姫が「5」)とされているが、2011年現在は、まだ枝先に茶色の実を付けており、その生命力を感じることができた

1968年福島県生まれ。映像製作プロダクションを経て、1999年よりフリーランス。山岳・アウトドア雑誌などを中心に活動中。日本海から太平洋まで徒歩横断、ヒマラヤなどで高所登山を経験。その後、アメリカン・バックパッキングの魅力にはまり、カリフォルニア州シエラネバダを中心に、アラスカ、カナダなど北米への旅を重ねている。
また、北アルプス剱岳・立山・黒部源流エリアを主なフィールドとして撮影、取材。その一方、北信州のヤブ山へも足繁く通い、ヒトとケモノ、里山に残る山村文化などをテーマに撮影を続けている。
著書に「アルペンガイド8・剱・立山連峰」(山と溪谷社)がある。

鍋倉山は森の山です。一本一本の木々が集まって森になって、それが一つの山になっている。だから僕にとって鍋倉山というのはいわゆる山ではなくて、「森」だと思っています。なので、いつも鍋倉山へ行くことを「森へ行ってくる。」というふうに言っています。

この「森」に通うようになって、10年近くになりますが、僕が好きなのはこの「森」の小ささです。東北白神などのブナ原生林なんかとは違う、言わばちっぽけさ、が気に入っています。里山、というにふさわしい山の大きさ、森の大きさだと思うのです。あれだけのブナがある「森」なのに、すごく身近に感じる大きさだと思うのです。ところが、いざ「森」に入ると深いのです。ちっぽけなはずなのに、踏み入っても踏み入っても奥がある。だからまた行きたくなる。結局通い続ける理由はこんなことなのかもしれません。

ブナを中心とした広葉樹の「森」ですから、やはり四季の移ろいが素晴らしい。季節ごとによさはあるけれど、やはり冬、それも吹雪の日が好きです。そんな日に一人で「森」に入ると、本当に「森」と一対一になれる気がする。一番自然が自然らしい表情を見せてくれている気がします。

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